【ハロウィーンの歴史】#2|ジャック・オー・ランタンの登場~新大陸に渡ったハロウィーン~

歴史いろいろ
縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

前回は、ハロウィーンのはじまりについて見たね。

ケルト人のサムハイン祭にいろんな要素や事件が加わってできたお祭というのは分かったよ。
でもまだ、ハロウィーンといえばジャック・オー・ランタン!ともいえる、カボチャが登場していないんだけど・・

遮光器インコ
遮光器インコ

そうだよね。今ではハロウィーンといえばカボチャともいえる存在だけど、カボチャはハロウィーンが海をこえてヨーロッパから新大陸(アメリカ大陸)に渡ってから登場するんだ。そもそもかぼちゃの原産地は中南米だしね。

ハロウィーンといえば、カボチャジャック・オー・ランタン

そんなイメージの方も多いでしょう。

このハロウィーン=カボチャというのは、ヨーロッパではなく、新大陸つまりアメリカ大陸でうまれました。

この記事では、アメリカ大陸に渡ったハロウィーンがどのように変化していくかみていきます。

この記事でわかること
・アメリカ大陸に渡ったハロウィーンがどのように変化したか?
・ジャック・オー・ランタンに秘められたストーリー
 

ハロウィーン、海を渡る

ハロウィーンが海を渡ったきっかけは、じゃがいも?

1845年、アイルランドを中心にヨーロッパでじゃがいも飢饉がおこります。

じゃがいも疫病によって主要作物であるじゃがいもが大凶作となり、7年の間におよそ100万人のアイルランド人が亡くなり、100万人が国を離れました。

このとき国を離れた人びとの多くがアメリカに渡りました。

スコットランドからも50万人海を渡ったといわれています。

遮光器インコ
遮光器インコ

悲惨な話だよね。
じゃがいも飢饉についてこちらに書いてあるので参考にしてくれたらうれしいです。

アメリカ大陸へのハロウィーンの浸透のはじまり

アメリカ大陸に多くの人が渡ったこの時期、アメリカでは移民から中流階級が誕生し、そのような人びとが母国のイギリス人の習慣をまねし始めました。

遮光器インコ
遮光器インコ

この頃のイギリスはヴィクトリア女王の時代。繁栄の時代だね。
進んでいる者に対して、追いつこう、真似しようと思うのは人間の性なのかもね。

1869年ヴィクトリア女王がハロウィーンを過ごしたという報道から、アメリカでもハロウィーンに関する内容が広まるようになります。

例えば1870年に出版の人気女性雑誌では、ハロウィーンは子どもたちによって祝われる英国の休日だとされ、そのときのパーティーの内容が物語の中で解説されていました。

そのパーティーでは、魔女を追い払うために置かれたほうきをまたいで部屋に入る、占いゲームとしてバーニング・ナッツやトランプ、ラギボウル、水の中に鉛を流し込んだかたちで占う、運命ケーキなるもの、火の中に手を突っ込んでドライフルーツなどを取り出すスナップドラゴンなどが紹介されており、人びとの目にも魅力的に映ったでしょう。

縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

これは楽しそう!アメリカに渡った人びともやってみたくなっただろうなぁ。

このようなパーティーとともにたき火の風習も伝わりましたが、あまり盛り上がることなく廃れていきました。

ジャック・オー・ランタンの登場

アメリカのハロウィーン、いや、ハロウィーンといえばジャック・オー・ランタンというくらいに浸透したかぼちゃのランタンは、19世紀末にかけて普及しました。

ジャック・オー・ランタンには「鍛冶屋ジャックの伝説」のお話が関わっています。

鍛冶屋のジャックは悪魔の裏をかいたせいで、寿命が尽きても天国へ行けず、地獄へも行けず、カブをくりぬいたランタンの中の1本の灯りだけを頼りに、この世界をさまよっているというお話です。

遮光器インコ
遮光器インコ

だから英国やスコットランドでは、カブをくりぬいたランタン「ニーブ・ランタン」が作られていたんだって。

縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

なんだか、怖い話だな。
でもなんでアメリカでは、カブじゃなくてカボチャなんだ?

それには、はるか昔からアメリカにあった伝統が関係しています。

カボチャにはハロウィーンが持ち込まれる前から、薄気味悪い笑い顔が彫られていたというのです。

カボチャ、とくに鮮やかなオレンジ色の大きなカボチャは、アメリカ大陸が原産ということもあって、身近なものだったでしょう。

さらに、1820年に出されたワシントン・アーヴィングの小説『スリーピー・ホローの伝説』ではくりぬかれたカボチャ「イカボド・クレーン」が登場します。

ただ1860年代~70年代にはまだハロウィーンに関してジャック・オー・ランタンのくだりはなかったので、この時点ではまだジャック・オー・ランタンは根付いてはいませんでした。

ジャック・オー・ランタンの初出と考えられているのが、1989年のマーサ・ラッセル・オルヌの『ハロウィーンーその祝いかた』です。

その小冊子には「リンゴ、キュウリ、スクワッシュ、カボチャなどで作られたジャック・オー・ランタンで気味悪く飾りつけなければならない」といったことが書かれていました。

縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

スクワッシュとは、ピーナッツみたいなかたちのカボチャ「バターナッツカボチャ」のことだよ。
それにしても、キュウリやリンゴなんて、なんでもありだなぁ。

これらをまとめると、ジャック・オー・ランタンは、鍛冶屋ジャックの伝説とカブのランタン、小説の中のカボチャ、巨大カボチャを気味悪くするアメリカの伝統などが混ざり合ってうまれたといえます。

ほかにもある!ハロウィーンのアメリカっぽいもの

トウモロコシ

トウモロコシも人気で、トウモロコシの皮の早むき競争は最初の頃のハロウィーン・パーティーの人気企画でした。
現在でも、アメリカのハロウィーンのデコレーション用にインディアンコーンと呼ばれる装飾用のコーンがあります。

案山子(かかし)

アメリカのハロウィーンを象徴するものとえば、かかしがあります。

かかしとは、わらで作られた胴体に古着をまとい、収穫までの1年を通して鳥などから作物を守るものです。

かかしがハロウィーンの象徴としてデビューしたのは、20世紀初頭のころと考えられており、少年たちがいたずらで頭部をかぼちゃなどに付け替えて、恐ろしくしたことがはじまりと言われています。

ハロウィーンに出て来る動物の増加

猫だけはヨーロッパでもありましたが、

コウモリやフクロウは20世紀以降だといわれており、ヨーロッパではハロウィーンに登場しないそうです。

コウモリに関しては、1897年のブラム・ストーカーの『ドラキュラ』によるところが大きいといわれています。ヴァンパイアがコウモリに変身するという話です。

初期のハロウィーンや19世紀では、実はがよく登場していました。

ハロウィーンの夜、馬が魔女や妖精、小鬼を乗せることができたからです。
20世紀からは自動車に取って代わられてしまいましたが。。

縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

文明には勝てなかったのか・・。

遮光器インコ
遮光器インコ

クモも最近ではよくみかけるけれど、なにせ気持ち悪いという理由で売れないのでは?とあまり使われてこなかったという歴史があるよ。

おわりに

じゃがいも飢饉などをきっかけにヨーロッパからアメリカ大陸に渡った人びとは、イギリスの情報もキャッチしながらハロウィーンを浸透させていきました。

この記事のまとめ
・アメリカ大陸に渡ったハロウィーンは、トウモロコシ、かかし、コウモリ、フクロウなど様々な要素を取り入れて変化していった。
ジャック・オー・ランタンは、鍛冶屋ジャックの伝説とカブのランタン、小説の中のカボチャ、巨大カボチャを気味悪くするアメリカの伝統などが混ざり合ってうまれた。
縄文ポシェットさん
縄文ポシェットさん

アメリカ大陸に渡ったことで、ハロウィーンもヨーロッパのものとはずいぶん違った感じになったんだね。

遮光器インコ
遮光器インコ

そうだね。このようなアメリカ風のハロウィーンの方が日本人にはなじみがあるっていうのも興味深いよね。

遮光器インコ
遮光器インコ

お読みいただきありがとうございました!
次回はトリック・オア・トリートについてお話します!

参考文献

遮光器インコ
遮光器インコ

今回のハロウィーンの歴史シリーズはこちらの本をかなり参考にさせていただきました。
おもしろすぎたのでまとめてみましたが、まとめきれない!まだまだ奥深い内容がたくさんなので、もっと詳しく知りたい!という方はぜひ!

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