
古墳だいすき!
だけど古墳時代って、あまりに古墳のインパクトが大きいせいか、他のことあんまり知らないなぁ・・。

この記事では、古墳時代の食生活についてみていきます!
古墳時代とは、3世紀半ばから6世紀半ばまたは7世紀頃のことをさし、古墳という王や豪族の墓がつくられた時代のことをいいます。
古墳時代の食生活は弥生時代からつながるもので、あまり大きな変化はありませんが、いくつかの特徴があります。
1、稲作と古墳との密接な関係
2、キッチンの変化と食器・調理法
この記事では、稲作と古墳造りとの関係や土器や調理法の変化から、古墳時代の食生活についてみていきますね!
稲作と古墳との密接な関係
古墳時代は、弥生時代からさらに水田稲作がすすんでいきましたが、この水田稲作の技術が古墳造りに生かされていたのです。
水田稲作の技術・農具が発達
弥生時代から古墳時代にかけて、水田稲作のための技術が大きく発展しました。
堰や堤防、自然の河川を人工的に付け替えるといった灌漑の技術などの土木技術。
そして農具。農具はナズビ形農具(土を掘り起こしたりする道具)や石包丁にかわって鉄製の鎌(かま)などが出現します。
さらに5世紀になると、木製の鋤や鍬の刃先にU字形の鉄製の刃がついたり、鉄製の根を刈る鎌が出現し、現在に続く日本の農具の基本形ができあがりました。

古墳時代にはやくも農具の基本形ができあがるってすごいねー
また群馬県の同道遺跡では、大アゼで区画した内部を小アゼで区画するといった技術が使われており、この小アゼのおかげで、水を水田に張り続けたり、排水が均等にできるようになったりしていたようです。
古墳造りと水田稲作の関係

古墳時代を代表とする古墳といえば、近畿地方に今も残る、仁徳天皇陵や箸墓古墳などの大きな前方後円墳ですよね。
このような前方後円墳には周囲に溝が巡らせてあることが多く、大規模な土木工事が必要でした。
溝づくりは水田の水路をつくる技術が使えますし、大規模な工事をする人たちを集めるには、広範囲の支配権の確立が前提となります。
弥生時代に、水田稲作の浸透により、社会が階層化し、有力者があらわれましたが、そういった人々は稲作や戦争に人々を動員することにくわえ、自分のお墓も造らせることができるようになりました。
水田稲作と古墳造りには深い繋がりがあったのですね。

水田稲作でつちかった技術や統率のしかたなどが、古墳造りに役立ったとは驚きだね。
古墳時代のキッチン~土器と調理法の変化~
古墳時代は、朝鮮半島から新たな技術が持ち込まれることによって、食べ物の調理の仕方が少し変わった時代でもあります。
かまど
朝鮮半島から伝わったもののひとつが「かまど」です。
それまでは、竪穴式住居の家の真ん中に炉がありました。
炉が真ん中にあると、スペースが狭くなったり、家中がすすけたりしました。

たしかに!ぼくのふるさと青森県三内丸山遺跡では、竪穴住居に実際に入れるんだけど、真ん中に炉があるので、すすけたような匂いがするもんね。
思ったより気密性も高そうだから、けむかっただろうなぁ。
かまどは壁に石や粘土でつくられ、排気口が家の外に出る構造をしています。
火をもやす部分が壁で囲まれているため熱効率がよく、より高温で調理できるようになりました。
上部には甕(かめ)や甑(こしき)といった現代でいう鍋をおく穴があります。
かまどの普及により、家のなかの住スペースが広くなったり、調理場(台所)と住スペースが分けられることとなりました。
土師器と須恵器

古墳時代を代表とする土器が土師器と須恵器です。
以下に特徴をまとめてみました。
土師器
・弥生土器の流れをくむ
・地面に穴を掘った「野焼き」という方法で焼き上げたもの。
・茶褐色をしており、やや軟質。
・甕(かめ)・鍋・甑(こしき)など・・・煮炊き用
・高坏(たかつき)・壺など・・・盛り付け用や貯蔵用
・坏(つき=皿)など・・・食器用
須恵器
・古墳時代の中期以降に朝鮮半島から伝わった土器
・専用の窯で1000℃以上の高温で焼かれる。
・青灰色で硬質。
・火にかけると割れてしまうので、煮炊きには使われなかった。
・甕や壺・・・水や酒、油、穀物などの貯蔵用。
・瓶(へい)・・・水や酒を注ぐ用。
・高坏や坏・・・盛り付け用。

土師器と須恵器って学校ではセットで覚えた記憶があるけど、けっこうな違いがあるんだね。
米の新しい調理法
米は弥生時代から、石毛直道さんのいう「炊き干し法」といって、米を水で煮る方法で調理されていました。水の量を多くすると「粥」になり、水の量を米の1.2~1.3倍にすると現代の私たちが食べているようなかたさのご飯ができあがります。
弥生時代に米を煮て食べる方法がおこなわれていたことは、外側にすすがつき、内側に米粒がこびりついているものがいくつも出土していることからもわかります。
ただ、古墳時代以降に須恵器でつくられた「甑(こしき)」がつたわると、新しい調理法が加わります。
それは「蒸す」です。
米を蒸すことは、現在のおこわやちまきのルーツである「強飯」がつくられることになります。
「蒸す」技術により祭祀などの儀式用に蒸した米が使われるようになりますが、日常的にはかわらず米を煮て食べていたと考えられています。
おわりに
以上をまとめると・・
この記事のまとめ
1、水田稲作でつちかった技術や権力が、大規模な古墳造りに活用された。
2、古墳時代の食生活は弥生時代の流れをくむが、かまどや「蒸す」技術などが伝わり、調理法のバラエティが増えた。

一見地味だけど、確実に変化はおこっているね。

お読みいただきありがとうございました!
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