
ねぇねぇ、遮光器インコさん。青森県のぷりっぷりで死ぬほど甘いトウモロコシ「嶽(だけ)のきみ」食べる?

トウモロコシか!ポシェットさん三内丸山遺跡出身だもんね。青森では「きみ」って呼ぶんだね~
トウモロコシって、実は私たちの生活にめちゃくちゃ関わっているって知ってた?

え?そうなの?トウモロコシの旬は夏だけど、冷凍コーンも缶詰もあるよね。
あれ?トウモロコシってどこからきたんだろ?
あぁ。また気になるスイッチがはいったよ~

この記事では、トウモロコシの起源、トウモロコシが世界中に広まった話、身近なトウモロコシ製品などについてお伝えします!
きっと、トウモロコシってすごい!って思えますよ~。
歴史に詳しい栄養士であるわたしが遮光器インコさんと一緒に解説しますね!
トウモロコシの起源
まず、とうもろこしはどこで生まれて、人類と出会い、栽培がはじまったのでしょうか?
はじまりの物語をみていきましょう。
トウモロコシの出現と栽培のはじまり

トウモロコシの起源は7000年前、あるいはそれよりも前といわれています。
はじまりの場所はメキシコ中部米プエブラ州テワカン。その後南はペルー北は現在のアメリカ合衆国南西部で広まっていったと考えられています。
この説の他にも、パナマで6900年前、エクアドルのアマゾン川流域で6000年前という証拠もあり、あちこちで発生した可能性も考えられています。
とはいえ、とうもろこしは自力で種を落とすことができない植物であるため、野生のままでは増えることができません。ですので、トウモロコシにとっても、子孫を増やすためには人間による栽培が必要でした。
こうして7000年もの昔から、人類とトウモロコシの長い付き合いがはじまったのです。
神聖視されるトウモロコシ

トウモロコシと人類の出会いのストーリーは言い伝えや神話で語られることが多く、神から贈られたトウモロコシが人類をつくったとか、トウモロコシの神がいたといった語られ方をしています。
トウモロコシは先住民の人々にとって最重要な食べ物だったゆえに神聖視され、大事にされていたのですね。
トウモロコシを神聖視しているがゆえに、例えばマヤのエリート階級は自分を「とうもろこしの生まれ変わりだ!」と言ったり、母親が赤ちゃんの頭に板をくくりつけ、先が細いとうもろこしの穂の形になるようにするなどしたほどです。
また支配階級の男性や貴婦人は、光沢のあるトウモロコシの糸のような髪型をするのがおしゃれでした。

主になる穀物を神聖視するのは、日本でいうお米だったり、キリスト教圏の小麦だったりするよね。

いくら神聖だからって、トウモロコシになるってすごいなぁ。米になったり、小麦になった人っていただろうか?
アメリカ先住民のトウモロコシとすごい知恵
先住民はなぜペラグラにならなかったのか?
トウモロコシと切っても切り離せない病気に、ペラグラがあります。
ペラグラはナイアシンというビタミンが不足しておこる病気で、皮膚炎や下痢、認知能力の低下がおこり、死に至ることもあります。
トウモロコシにはナイアシンが含まれていないため、栄養のほとんどをトウモロコシでとるアフリカの貧困層などでは、現代でもペラグラの発症が問題となっています。
不思議なことに、アメリカ先住民ははるか昔からトウモロコシを主食にしていましたが、ペラグラが蔓延することはありませんでした。
それはとある知恵を持っていたからです。
トウモロコシの食べ方と育て方~ニュータマリゼ-ションと混植~

先住民はとうもろこしの粒を、木灰や石灰、貝殻を砕いて溶かした水に浸して柔らかくし、調理の下処理をしていました。
このアルカリ水による処理法は「ニュータマリゼーション」と呼ばれ、消化吸収できなかった結合性ナイアシンを変化させ、消化吸収できるようにしていたのです。
さらに先住民の人々がとうもろこしと一緒に常食していた豆類は、アミノ酸が豊富なのでバランスのとれた食事になっていたのですね。

すごい、先住民の知恵!これならペラグラにもなりにくそうだね。
コロンブスが来る前のメソアメリカでは「トウモロコシ・豆・かぼちゃ=スリーシスターズ」を一緒に植える混植が当たり前でした。
さらに唐辛子など他の作物も同じ畑に植えていたため、それぞれの野菜がいい感じに役割を果たしていたのです。
とうもろこしの丈夫な茎は、豆類を支える支柱になり、かぼちゃの葉っぱは土を強い日差しから守り、雑草が育つのを抑制。唐辛子やハーブは昆虫や動物の侵入を阻む役割がありました。

すごい!なんて画期的なんだ!

現代でも混植はいろいろな農業に使われているよね!
しかし、ニュータマリゼーションや混植の技術や知恵はトウモロコシが世界各地に伝播するさいに一緒に運ばれることはありませんでした。

だから、トウモロコシを主穀にしてしまった地域でペラグラが蔓延してしまったんだね・・・
海をこえるトウモロコシ~コロンブスにはじまる伝播~

時は大航海時代。1542年11月クリストファーコロンブスはアメリカ大陸に到着し、先住民と接触します。コロンブスは先住民が「マイース」と呼んだ穀物をヨーロッパに持ち帰りました。これが、トウモロコシです。
スペインに持ち込まれたトウモロコシは主にポルトガル人とアラブ人の貿易商が中心になり、世界中に広まっていくこととなります。
まずトウモロコシは、アフリカや中東に16世紀初頭に運ばれ、インドとパキスタン、中国南西部へと運ばれました。日本の長崎に伝えられたのは1580年頃と言われています。
16世紀末までにはスペイン南部、イタリア、ドイツ、イギリスへと広まりました。
さらに17世紀半ばにはイタリアの農村での食事として定着したり、東南アジアにも定着。18世紀までにはフランス東部で家畜の飼料や農民の食べ物として栽培され、バルカン半島諸国でも用いられるようになりました。

このようにしてトウモロコシは南蛮貿易で伝わったけど、日本で重要視されるようになったのは19世紀後半の明治時代になってからだそうだよ。

20世紀初めにスイートコーンが初めて北海道で栽培されて今のように親しまれるようになったんだって、最近だね~
なぜ世界中でトウモロコシが受け入れられたのか?

トウモロコシが世界中に広まっていったのは、他の植物よりも優位なポイントがあったからです。
トウモロコシのすごいところをあげてみます。
・どんなところでもよく育つ
・生育期間も短く手間がかかりにくい
・収量が多く保存が利く
・栄養価が高い
・調理法が豊富
ひとつずつ見てみましょう。
どんな所でもよく育つ
とうもろこしは海抜0mから海抜3360mまでの高地でも低地でも栽培可能なうえに、ロシアやカナダの北緯50度付近から、南アフリカの南緯50度までOK。
さらに、年間降雨量が250ミリ以下~10,000ミリ以上の地域でも生育するといった、さまざまな土壌や気候にも耐える強さがあります。

ギネスブックによるとニューヨーク州アルゴニーのジェイソンカール氏が育てた10メートル70センチのトウモロコシが確認されているよ!

育ちすぎだろ!笑
収量が多く保存が利く
トウモロコシはひとつの茎に複数の実をつけ、粒もたくさんとれます。
さらに湿気から守られていれば何世紀もそのまま生き延びることができ、数年前にアステカの遺跡で1000年前のもろこしの穂を食べるロバが目撃されているそうです。

ロバさん、味おしえて!
栄養価が高い
1本でご飯100gほどのカロリーがあるので、主食にされているのも納得ですね。
他にも、食物繊維・鉄・ビタミンC・カリウム・ビタミンB1が豊富なのが特徴です。
調理法が多様

トウモロコシの調理法は多様で、複雑なものから簡単なものまであります。
ゆでる、焼く、ポップコーンのようにはじけさせるだけで食べられる超簡単なものから、少しつぶしてポリッジ(粥)にしたり、平たいパンを作ったりといった簡単なもの。
そして米や小麦のように粉にしてから加工したりと手間暇かかる料理もあります。

米や小麦と違う点は、固い殻をむかなくても食べられるってことだね。

簡単なものは受け入れやすいし広まりやすい!ってことか~
トウモロコシの呼び方に大混乱!?

世界各地に広まったトウモロコシは、さまざまな名前で呼ばれていました。
おもしろいので紹介します。
・イギリス人は「トルコ小麦」または「インディアンコーン」
・トスカーナ人は「シシリアンコーン」
・トルコ人は「エジプト小麦」
・エジプト人は「シリアもろこし」
・ドイツ人は「トルコ小麦」
・ポルトガル人は「ミーリョ・ダ・インディア」
・日本人は「南蛮黍(なんばんきび)」
小麦なのかコーンなのか黍なのか、どこからきたのか、極めてよく分からない感じになっていますね。

これは日本国内でも同じで、例えば、「とうきび」「とうきみ」「とうむぎ」「なんば」「なんばん」「こうらい(きび)」「もろこし」「とうまめ」「とうなわ」・・・

小麦なのかコーンなのか黍なのか、どこからきたのか、極めてめちゃくちゃだね。
現代のトウモロコシの生産国・消費国

世界三大穀物のひとつ「トウモロコシ」。

世界三大穀物とは、小麦・米・トウモロコシだよ~
トウモロコシは現在160国ほどで栽培されており、アメリカ合衆国は最大の生産国かつ消費国でもあります。
アメリカでは世界のトウモロコシの35%以上を占める、約4億トンが生産されており、中西部のコーンベルトにある13州ではアメリカの作物の80%以上が栽培されています。
また日本は世界最大の輸入国であり、4分の3はアメリカから輸入され、大部分は家畜の飼料になっているそうです。
世界中で生産されるとうもろこしの利用内訳は、およそ5分の1は人間が食べ、3分の2は家畜のエサに、10分の1は食用の加工品を含め工業製品になっています。
家畜のエサや工業製品にトウモロコシを利用する国々がある一方で、サハラ以南のアフリカと中南米に暮らす12億人の人々にとっては大切な主食であり、アフリカでは95%が人間の食料として消費されています。

ん~。なんか配分に違和感がある・・・
コムギには勝てなかったトウモロコシと戦争中の食
小麦の下位におかれていたトウモロコシ
話は大航海時代に戻ります。
1607年に建設されたイギリスの植民地ジェームズタウンに到着した人びとを苦しめたのは、厳しい食糧難でした。この人々にトウモロコシを分け与えたのは先住民でしたが、先住民の蓄えが干ばつで激減すると1609年から翌年にかけて80%が命を落としたという話があります。
このように命を救ってくれたトウモロコシですが、西ヨーロッパから北アメリカに入植した初期のヨーロッパ人の間では人気があったとはいえませんでした。

やはり祖国の食べ物が一番だったんだね。
イギリスでは白いパンが富裕層、黒いパンが貧者のパンというように、序列がありましたが、その下にトウモロコシも位置づけられていました。
第一次世界大戦中のアメリカとトウモロコシ

小麦の下位におかれていたトウモロコシですが、アメリカ合衆国ができてのちの、第一次世界大戦中には重要な役割を果たしました。
戦争中は食料が戦争を決するといっても過言ではありません。
アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参加した時、食料は重要な問題となりました。そこで当時の大統領ウィルソンはアメリカ合衆国食品局を設立し、さまざまなことを国民に呼びかけました。
アメリカ人は肉なしの月曜日「meat-less Mondays」や小麦なしの水曜日「wheatless wendnesdays」を強いられることとなり「男たちが命をかけるなら私たちは食事を控えよう」と言って、アメリカの一般大衆は小麦の代わりにとうもろこしや大麦、米を食べて、肉を控える食事をしました。
これを守らないと、敵を支援しているとみなされ、小麦をどれぐらい兵士のパンに変えたかによって愛国心が評価されました。

第二次世界大戦中の「贅沢は敵だ」みたいな感じがするね・・・

トウモロコシが戦時中の人々の命をつないだんだね。
トウモロコシの驚きの用途の広さ

実はトウモロコシは加工食品のみならず、工業製品にも使われています。
例えば、スーパーに並んでいる食品でいうと・・・
コーンスターチ
お菓子
コーン油(揚げ物に適している)
コーングリッツ(シリアルなど)
コーンシロップ(アイスクリームなど)
ビール
トルティーヤやタコスの皮
バーボンウイスキー
ポップコーン
などなど・・・。
工業製品では約4000品目が数えられ、接着剤、プラスチック梱包材、絶縁材料、爆薬、塗料、研磨剤、殺虫剤、溶剤、布、バイオエタノールなどなど、本当に幅広く利用されています。

こんなに!?とうもろこしってすごいな~!
おわりに~世界を支えているトウモロコシ~
以上、トウモロコシの起源や海を渡った伝播、世界に広まったワケ、世界の生産国、幅広いトウモロコシの用途をみてきました。
世界三大穀物とはいえ、日本では米や小麦のような主食というよりも、野菜としての位置づけが強いトウモロコシですが、世界的にみた場合や、そのまま食べる以外の加工食品や飼料、工業製品といった恩恵を考えると、とても重要な食べ物だということがわかります。

トウモロコシさん、ありがとう!

身の回りのどんな製品にトウモロコシが使われているのか、調べてみるのも楽しいね!パッケージをみてみると、いろんな食品に入っているかもね!

トウモロコシにかぶりつける季節ではないのが心苦しいですが(笑)
お読みいただきありがとうございました!
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