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醤油の歴史〜縄文時代から日本人とともにあった発酵調味料〜

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縄文ポシェット

日本人といえば醤油だよね!醤油っていつからあったんだろう?

醤油は縄文時代からあったと言われているよ!

ひとくちに醤油といってもいろんな種類があるし、時代によっても変わってくるんだ。

遮光器インコ

縄文時代から今に至るまで日本人の食生活を支えてきた醤油の、奥深い歴史みていきましょう!

この記事でわかること

  • 醤油の種類
  • 縄文時代から現代までの醤油

醤油とは何か?醤油にも種類があった

醤油とは?

醤油とは、一般に大豆と小麦でつくった麹と食塩水を原料にして発酵させ、それを搾ってから熟成したもの、である。

小泉武夫『醤油・味噌・酢はすごいー三大発酵調味料と日本人ー』より


醤油といっても、原料や処理の仕方などでさまざまな種類があり、JAS(日本農林規格)によると、「濃口醤油」、「淡口醤油」、「溜醤油」、「再仕込み醤油」、「白醤油」の5種類があります。

以下で詳しく説明しますね!

濃口醤油

一般的な醤油で、普通に「しょうゆ」といえばこの濃口醤油のことになります。

濃いめの色と高い香りが特徴で、日本の市販されている約80%がこの濃口醤油です。

淡口醤油

うすくちといっても、「色」がうすいということで、塩分濃度は濃口よりも高いのが特徴です。

関西の発祥で、京料理など素材の色を引き立てる料理に使われます。

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たまり醤油

普通の醤油は、大豆と小麦が半々でつくられることが多いですが、たまり醤油はほぼ大豆で造られていているのが特徴です。

東海地方でおもに生産され、味が濃厚でとろみがあります。

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再仕込み醤油

再仕込み醤油は、一度完成した醤油に、再び醤油麹を加えて再発酵させるという贅沢な醤油です。

色、味、香りともに濃厚でとろみがあるのが特徴で、山口県の柳井地方で造られてきた「甘露醤油」が元祖といわれています。

白醤油

名前の通り、透き通った色の醤油であり、小麦が90%、大豆を10%使って色が出ないように注意をはらい造られたものです。

白醤油は色は薄いものの甘みや独特の香りが特徴です。

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醤油といってもいろんな種類があるんだね!食べ比べてみたいよ〜

醤油はいつからあったのか?

遮光器インコ

醤油の起源は、文字の記録だと、中国がはじまりで、日本へは仏教の伝来によって6世紀に伝わったと言われているんだけど、実際はもっともっと昔から日本でも独自に作られていたのでは?と考えられているんだ。

醤油に必要な材料として欠かせないのが「塩」。

塩はいつから作られていたかというと、今から3000~4000年前の縄文時代までさかのぼります。

冷蔵庫のない時代、獲ってきた動物や魚、野菜などは一度に食べきれないので、保存しておく必要がありました。

縄文の人びとは、塩と食べ物を縄文土器に入れていたでしょう。野菜を塩もみしたら水分がでてくるのと同じで、縄文土器のなかでは、漬けた材料から水分がでて、発酵していき、気づいたらうまみのある汁が完成・・!

縄文時代にはまだ文字がないので記述はありませんが、そのあと奈良時代あたりになると、食べ物を塩で漬け込んだものを「比之保」と表現するようになります。

中国から「醬(ひしお)」が入ってきた際に、すでに日本にあった「比之保」に似ているので、総じて「醬(ひしお)」と呼ぶようになったのではないかと考えられているのです。

奈良・平安時代の醤油

奈良時代がはじまる少し前の大宝元年(701年)に制定された「大宝律令」では、朝廷に「醬院(ひしおつかさ)」が設置され、雑醬(いろいろな醤油)や(くき。煮た大豆をすり潰して塩を加えたもの)、未醬(しょうゆと味噌の中間のようなもの)などを保管していたようです。

わざわざ醬院なるものを作って管理させているところに、醬が当時の人びとにとって欠かせない調味料だったことがわかりますね。

また奈良時代や平安時代の書物には、「草醬(くさびしお)」・「魚醬(うおびしお)」・「穀醬(こくびしお)」・「肉醬(にくびしお)」といったさまざまな「醬」がみられます。

「草醬」は、ウリ、青菜、なす、カブ、大根、水ネギ、もも、あんずなどを塩で漬け込んだもの。

「肉醬」は、鳥や獣、貝、カニ、ウニ、エビ、一部の魚などを塩に漬け込んだもので、今の塩辛のようなもの。

「魚醬」は、魚やイカの肉や内臓、卵などを塩に漬け込んだもの。

「穀醬」は、大豆、米、小麦などを塩とともに漬け込んだもので、現在のしょうゆの原型となったものです。

これらの醬たちは、ドロドロの状態のを飯に塗ってたべたり、濾して液体にしたものをかけて食べたりしていたようです。

平安時代では、史料によると、醬は塩分濃度が高く、製品と同量の塩を入れていたことがわかっています。


「醤油」の誕生~鎌倉時代・室町時代~

鎌倉時代にはいると、平安時代まであったさまざまな醬シリーズのなかでも、とくに「穀醬」が調味料として重要な地位を占めてきます。

農民が年貢などで穀物を納めてくれるので、それを使った方がラクだったのでしょうね。

そして室町時代。公家の日記に「しょうゆ」に近い言葉が登場しはじめます。

奈良興福寺の僧侶が書いた『多聞院日記』には、永禄11年(1568年)に「醤油」の文字がみられるほか、相国寺鹿苑院の執務記録にも「漿油」の文字、公家の日記『言継卿記』にも「シヤウユウ」の文字がみられます。

室町時代末期に成立したとされる『節用集』では「漿醬(こむつびしお)」という文字があり、この『節用集』が慶長2年(1597年)に転写されたときに、「醤油」という字に改められています。

この頃の醤油は、とろりとしていて、醤油と味噌のあいだくらいのたまり状のものだったと考えられています。

遮光器インコ

この「たまり」はとろりとしていたので、油がしたたる様子が似ているため、醤油の「ゆ」の字は「油」なんだって!

醤油の生産力アップと江戸での人気爆発~江戸時代~

室町時代末期から江戸時代にかけて、巨大な桶や製麹法の改良などの技術革新がすすみ、醤油屋さんができはじめます。

上方醤油の台頭

江戸時代に入ると、京都、堺、紀州湯浅(和歌山)、播州竜野(兵庫)、下総銚子(千葉)でも次々と醤油屋さんが誕生します。

当時の醤油の作り方は、現代のものとだいぶ近くなり、とろみも薄まってきたようです。

江戸時代の醤油の作り方

  1. 主原料の大豆を煮るor蒸す
  2. 同量の大麦または小麦を炒ってから砕き、この大豆と麦を混ぜ合わせて麹を作る。
  3. 桶に入れて塩を加えてもろみにし、ときどき攪拌して発酵と熟成をさせる。


江戸時代前期の醤油は、上方の大坂や堺、竜野(兵庫)のものが優れていて、江戸の市場へは「下り醤油」として千石船で運ばれていったほか、尾張知多湾の武豊あたり(愛知)からも海上輸送されていました。

大坂方面から江戸に運ばれた醤油は「下り醤油」と呼ばれとても品質がよかったので、運送代がかかり高価でしたが、江戸近郊で造られていた「地廻り醤油」よりも人気がありました。

遮光器インコ

ときに下り醤油は、地廻り醤油の2倍の値段で取引されたらしいよ。


江戸への醤油の入荷が最も多かったのが享保年間(1716~1736年)でしたが、このときの醤油の消費量は現代人のおよそ3倍!一人一日当たり約30mlも消費していたそうです。

塩分の摂りすぎを心配しちゃうね。

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当時は、食生活がとても質素だったため、醤油は佃煮や総菜、めんつゆのようなものに使われたりしていました。

江戸後期、関東の醤油の大逆転

下総国醤油醸造図

しかーし、江戸後期になると、関東の醤油が台頭してきます。

とくに野田と銚子では、江戸っ子の嗜好にあわせてさっぱりとした味わいの「濃口醤油」を造りだすことに成功し、下り醤油の需要は減っていきました。


この野田と銚子という地域は、肥沃な関東平野が上流にあるため原料の大豆や小麦をつくることができ、川をつかって江戸に運べるという美味しい土地でした。

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現代でも有名な、キッコーマンやヤマサ、ヒゲタが生まれたのは、この地だよ。

明治時代~現代の醤油造り

明治時代になると西欧から近代科学がはいってきたため、醤油の開発が進み、明治10年(1877年)には、醤油の博覧会や品評会といったコンテストもひらかれるようになりました。


大正時代になると、銚子醤油合資会社やヤマサ醤油株式会社、野田醤油株式会社など、大手の醤油会社が次々と成立します。

しょうゆ四大産地~野田・銚子・小豆島・竜野~


全国にはその土地ならではの醤油がありますが、とくに有名な生産地は四大産地と呼ばれています。

四大産地は、千葉県の野田と銚子、香川県小豆島、兵庫県たつの市です。

千葉県・野田の醤油

野田の醤油発祥の地(旧飯田家の工場跡)

江戸川の河岸にある野田で、醤油造りがはじまったのは、永禄年間(1558~1570年)に飯田家が甲斐の武田氏にたまり醤油を納め、「川中島御用溜醤油」と称したことといわれています。

そして、寛文年間(1666~1673)にキッコーマンの茂木、高梨一族が醤油醸造業を開始し、商品化が進み、江戸の大きな需要に応えます。
大正6年には「キッコーマン株式会社」の前身である、「野田醤油株式会社」が設立されました。

千葉県・銚子の醤油

利根川の河口にある銚子では、元和2年(1616年)にヒゲタが開業、正保2年(1645年)にヤマサが創業します。

大正時代になるとヒゲタとジガミサ、カギダイの3社が合併して「銚子醤油合資会社」をつくり、ヤマサは加盟せずに「ヤマサ醤油株式会社」と名乗りました。

香川県小豆島の醤油

小豆島・マルキンしょうゆ

香川県小豆島は古くから内海湾での製塩が盛んでしたが、大豆や小麦が足りなかったので、島の特産品である花崗岩を船で運んで、帰りに大豆や小麦を積んで帰るという方法で醤油の製造を軌道に乗せました。

小豆島は大きな消費地である、兵庫津(現在の神戸市)や大坂、京都に近かったので発展していきました。さらに名産品のひとつであるそうめんのつけ汁や、瀬戸内海でとれる小魚に佃煮にも醤油は使われています。

兵庫県たつの市・竜野醤油

兵庫県たつの市も「竜野淡口醤油」で知られる土地です。

天正15年(1587年)に円尾孫右衛門が酒醤油問屋をはじめたころから醤油屋さんがはじまりました。

醤油造りの環境にめぐまれたこの地は、揖保川からの名水と肥沃な播磨平野からの米・大豆・小麦、さらに赤穂の塩といった原料がそろい、大消費地にも近いという好条件が整っています。


小豆島と同じように、たつの市もそうめんが有名で、醤油はつけ汁としても親しまれています。

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そうめんやっぱり揖保乃糸〜♪って聞いたことあるかな?(関西圏だけ?)

そうめんには麺つゆが欠かせないもんね〜。

第二次世界大戦後の日本と醤油

第二次世界大戦後からは、大量生産化の波が醤油業界にも押し寄せます。

現代では、醤油業界は、食品工業化して大量生産する企業と、小規模でも独自の醤油を造り続ける店の二極化がおこっています。

また、醤油そのものではなく、ソースやラーメンのスープ、加工食品などに二次的にも醤油は必要不可欠な存在であり、今日でも日本人と醤油は密接に関わっているのですね。

この記事のまとめ

  • 醤油にも5種類の分け方があって、それぞれ特徴がちがう
  • 醤油のもととなる「醬(ひしお)」は縄文時代から造られていた可能性がある
  • 奈良・平安時代には醬にさまざまな食材が漬け込まれた
  • 鎌倉時代以降、穀物を漬けた「穀醬」が主流になり醤油の原型になる
  • 江戸時代、醤油の消費流通が増え、たくさんの醤油屋さんが生まれた
  • 明治時代以降、科学技術も伝わり、工業化や大量生産もされるようになったが、伝統を守る小規模な醤油屋さんもいる

参考文献

-食べ物の歴史
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