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旧石器時代・氷河期に生きた日本人は何を食べていたのか?

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縄文ポシェット

旧石器時代って寒かったんだよね。そんな寒い環境の中で、人々は何を食べて生きてたんだろう?

旧石器時代は氷河期の真っ只中で、地域にもよりますが、現代よりも気温が6〜7℃低かったと言われています。

人々はおもにナウマンゾウやオオツノジカといった大きな動物を食べていました。

この記事では、旧石器時代に日本で生きていた人々が何を食べていたかみていきます。

旧石器時代、日本列島はどれくらい寒かったのか?

旧石器時代は今から260万年前にはじまった氷河時代のまっただ中にあり、寒い時代でした。

そのなかでも2万4000年前から1万8000年前は最寒冷期と呼ばれ、かなりの寒さだったといいます。この寒さのなか、人びとは生き延びていたのですね。

例えば、当時の東京が現在の北海道の北の端・稚内と同じような気温、つまり現在よりも6~7℃ほど低かったといわれています。

気候が寒冷化すると海水が氷になり海水面が下がるので、海水面は現在より120m低く、当時の日本列島は現在とはだいぶ違った形をしていました。

北海道はサハリンを通じて沿海州と陸続きになっており、現在のシベリア北部のようなツンドラの草原やまばらに木が生えているという風景が広がっていました。

北海道西部と東北地方はタイガ(シベリア地方の針葉樹林帯)におおわれていて、本州・四国・九州は陸続きであり、瀬戸内海は陸だったといわれています。

本州の西部は現在の北海道東部と同じような木々が生えていたそうです。

ただ、すべての地域が極寒だったわけではなく、地域差もありました。

本州の南岸や奄美以南は暖温帯落葉広葉樹・常緑広葉樹林におおわれ、現代の気候と近いといわれています。このあたりの地域は氷河期といえどもそれほど寒くはなかったのですね。

縄文ポシェット

地域差はあるにせよ、なんだかとっても寒そうだなぁ。そんな寒いところにわざわざ人びとがやってきたわけ?

そうだよ。寒さのおかげで大陸とつながっていたので、渡ってこられた人たちもたくさんいたくらいだからね。

次は、日本列島に人が来た頃の話をするよ。

遮光器インコ

日本列島にはいつから人が住んでいるの?

今の日本列島の範囲に人が住み始めたのは、4万年前~3万8千年前頃からが確実と言われており、世界史的にみた後期旧石器時代のころからといわれています。

日本列島に人がやってきたのは以下の3つのルートを通ってきたといわれています。

日本列島に来た人の3つのルート

  • 大陸を通って北海道方面へ南下してきた北回りルート
  • 朝鮮半島から九州北部への西回りルート
  • 南西諸島を北上する南回りルート

日本列島にやってきた人びとはマンモスやナウマンゾウ、オオツノジカといった動物を追い求めてやってきたと考えられています。

そして北海道までやってきた人びとは、津軽海峡が冬に凍りついて氷橋となったときに、本州に渡ることがでできたでしょう。
ただ、津軽海峡を渡ることができたのは小動物やヒトなどの体重の軽い生きものであって、マンモスなどのは重い生き物は、北海道止まりだったのではないかといわれています。

遮光器インコ

はるか昔にアフリカを出発した人類は、いろんなルートを通って日本列島に辿り着いたんだね。

世界とはちょっと違った日本の旧石器時代の特徴

世界的にみて旧石器時代の特徴は、打製石器の使用と移動生活ですが、旧石器時代の日本は世界的な特徴とはちょっと違っています。

それは世界史的には新石器時代に登場する、磨製石器、そして移動生活に適さない重さのある大きな石皿が登場してしまうところです。

鹿児島県の種子島にある立切遺跡では、3万年前の石皿や局部磨製石斧、集石遺構がみつかりました。

石皿は、堅果類(ドングリやクリなど縄文時代によく食べられた木の実類の総称)をすり潰すのに用いられたと考えられています。

前に書いたように、氷河期の日本列島でも本州の南岸や奄美以南は気候も温暖だったので、常緑広葉樹が生い茂っていた種子島には、堅果類があったのでしょう。

ただ、この時代にはまだ鍋として使える土器がなかったため、アクの強いドングリは食べられなかった可能性もあります。

堅果類のなかでもシイの実はアクも少ないので、石皿ですり潰して粉にし、中南米などで現在も食べられているトルティーヤのようにして焼いて食べたのかな?なんて想像ができます。

木を伐採するのに、局部磨製石斧が使われていました。

ある程度の定住をしていたと考えられるこの遺跡も、のちの気候の寒冷化などに適応できず姿を消してしまいます。

遮光器インコ

言い忘れていたけれど、氷河期といってもずっとずーっと寒かったわけではなく、寒冷期と比較的温暖な間氷期を繰り返しているんだよ。

実は現代も定義上は氷河時代。間氷期にあたるので、旧石器時代よりも暖かいんだね。

この立切遺跡が営まれていたのも間氷期だったそうだよ。

旧石器時代の食べ物~火と石は僕らのキッチンだ~

以上のように、旧石器時代は地域や時期によって差はありますが、寒さが厳しく植物性の食料はまだ乏しかった時代でした。

基本的には洞窟や岩陰の住居、簡単な小屋・テントなどに住みながら、マンモスやナウマンゾウ、オオツノジカなどの大型の哺乳類を追って移動し、ナイフ型の石器で狩っていたと考えられています。

いまのところ、旧石器時代の遺跡から見つかっている動物としては、ナウマン象、オオツノジカ、野牛、原牛、トナカイ、野生の馬、ニホンシカ、イノシシ、魚(ソウギョ)がありますし、沿岸部や川沿いでは魚も大事な食料でした。

手に入れた肉は、火であぶったり、蒸し焼きにしたり、生で食べたりしたでしょう。

さきほどの鹿児島県種子島の立切遺跡には「集石遺構」というものがありました。

この集石遺構は日本列島の旧石器時代の遺跡からはかなりの数が見つかっています。

集石遺構とは、こぶし大の石がごろごろ集まってみつかっている遺構で、現代版キッチンつまり調理場でした。

こぶし大の石ころを火で熱し、熱くなったら石の上に葉っぱなどで包んだ肉や植物をおいておき、蒸し焼きにするというものです。
遺構に残った石は火や熱で赤く変色したりひびがはいったりしていました。

縄文ポシェット

石には古い料理の歴史があるんだね。

現代でも秋田県男鹿市の伝統料理「石焼き」があるし、世界各地にも石蒸しの料理があるよね。

旧石器時代の日本に生きた人は何を食べていたか?

以上をまとめると、

旧石器時代に日本に生きた人の食べた物

  • 旧石器時代は最終氷期のまっただ中にあたり、地域や時期にもよるが、現代よりも6~7℃低かった。
  • 4万~3万8000年前ころに日本にやってきた人びとは、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大型の哺乳類を狩った。
  • 狩った獲物は火や石、植物を用いて、焼く、蒸す、生で食べていた。
縄文ポシェット

氷河期といえども暖かくなったり寒くなったりして、温暖な場所もあったんだね。それでも日本列島では寒い地域がほとんどで、大型哺乳類のお肉で命を繋いでいたんだね。

参考文献

-食べ物の歴史
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