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16世紀イギリスの肉・塩・魚をめぐる生臭い?食のヨーロッパ史

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遮光器インコ

16世紀のヨーロッパは、宗教改革や戦争、大航海時代のはじまりかけた時期。
いろいろややこしいんだけど、食べ物がからんでいるってちょっとおもしろくない?

この記事でわかること

  • 16世紀イギリスの「肉」「魚」「塩」に深く関わるフィッシュデイとは?
  • フィッシュデイの盛衰と宗教改革やアルマダの海戦と意外な関係
  • 塩がないイギリスの苦労とラッキーチャンス

16世紀ヨーロッパ・イギリスを中心に、肉・魚・塩の知られざる関係についてみていきましょう!

16世紀ヨーロッパの時代背景

イギリス対フランスの百年戦争からの、イギリス国内の家同士の権力争いであるバラ戦争、そこから成立したテューダー朝の時代。

当時イギリスは王権が強い時代でしたが、ヨーロッパでは宗教改革の運動が起こったり、ポルトガルを皮切りに大海原へ進出する大航海時代がはじまった時代でもありました。

とくにイギリスは当時の最強国スペインとの関係やオランダとの関係、ヘンリ8世の宗教改革による国内外の宗教問題、度重なる戦争による財政難などさまざまな問題を抱えていました。

16世紀のイギリスと肉

イギリスの家畜の中心は、牛、羊、豚であり、牛は搾乳または荷車をひいたり、トラクターがわりの動力源として重宝され、豚は食用、羊は搾乳、羊毛、良質な肥料としての役割でした。

食べるためだけの家畜は豚であり、牛や羊はお役目を終われば食用とされていましたが、食べるのには貴重なものだったのです。

またイギリスは、ローマ帝国の占領期からすでに羊毛の生産地であり、食べるよりも羊毛を輸出した方が儲かりました。

16世紀にはイギリスの海外市場の拡大にともない、羊毛の価格が高騰したので、お金持ちは農民を追い出して土地を囲み、羊毛の生産に力を入れることにしたのです。

また肉の消費も増え、ロンドンは最大の肉の消費市場となっていったため、退役した家畜を太らせてから市場へ売る「グレイジアー」という仕事の重要性も増しました。

このような肉の消費の増加の要因のひとつに「魚」の問題があります。

縄文ポシェット

肉なのに、魚って?どういうこと?

魚の日とアルマダの海戦

魚の日=「フィッシュディ」とは?

キリスト教の文化に「フィッシュディ」=「魚の日」があります。

さかのぼること西暦325年、ニカイア公会議にて、復活祭の日程が正式に決定し、四旬節は肉を食べない日となりました。

四旬節とは、復活祭(イースター)の前日まで続く、イエスが十字架に至るまでの苦難の道を思い起こす時期で、いわゆる自粛的な生活をする期間だそうです。

それが7世紀になると断食の日は四旬節40日間+イエスが磔にされた金曜日などと増えていきました。

なんとイギリスの法律では、金曜日に肉を食べた者はさらし首の刑だったという記録もあります。


断食の日には肉を食べちゃいけない。

・・じゃあ魚を食べよう!


そしていつしか中世ヨーロッパでは一年の半分が肉、半分が魚となっていきました。

このことにより、ヨーロッパにの国々には、大量の魚が必要になります。

ちなみに、カニや貝も魚とみなされ、富裕層は魚の日にも変化のあるごちそうが食べられました。

またクジラやイルカなどの水棲生物も部位によってはOKでした。

生け簀を自宅に持ち新鮮な魚を食べられる富裕層やいつでも魚がとれる沿岸部の人々はいいのですが、とくに内陸部の貧困層は、断食中は塩漬けのニシンの日々が続いたそうです。飽きそうですね・・。


そんなフィッシュディにも変化が訪れます。

フィッシュディと宗教改革

1534年のヘンリ8世による宗教改革です。

かなり簡単にいうと、妻と離婚したかったヘンリ8世がキリスト教カトリックのトップであるローマ教皇とさよならして、独自のイギリス国教会を作ったのです。

ですので、キリスト教カトリックのしきたりであるフィッシュディは、強制ではなく個人の自由に任されることになりました。

縄文ポシェット

強制じゃなくて自由っていいじゃん、それの何が問題なの?

フィッシュディは次第に衰退し、大問題を招いたのです。

当時は、漁民=海兵の時代。

漁船は海軍の船として使われていたため、漁業の衰退は、軍事力の衰退を意味したのです。

加えて、それは経済の衰退でもありました。

1536~39年には魚の大消費地でもあった修道院の解散まで行われてしまい、国内の需要は減っていきます。

さらに当時はオランダ漁業が北海のニシン漁でライジングしていた時期でもあり、イギリスは圧倒されていました。

危機感を募らせたイギリスは、ヘンリ8世の息子であるエドワード6世の時に「ポリティカルフィッシュディ」を開始し、イギリス国内の漁業を保護する法令も幾度か出されました。


次の代の女王エリザベスの1世の功臣であったウィリアム・セシルは、「ポリティカルフィッシュディ」を熱心にすすめ、1563年には水曜日も魚を食べなさいということになります。

しかし国民の反発は強く、医者に頼んで治療のために肉を食べなければならないという診断書をもらう人やエリザベス女王に直接許可をもらう人までいました。

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なぜ、そこまでして必死に魚を食べさせようとしたかというと、

当時の最強国スペインの存在があったからなんだ。


フィッシュディとアルマダの海戦

そう、イギリスはスペインに勝つために海軍を強くしなければなりませんでした。

スペインは造船技術も高く、1571年にはレパントの海戦でオスマン帝国に勝利し、新大陸を目指す航海もはじめており、漁業もさかんでした。

1588年には歴史上有名な戦いのひとつ「アルマダの海戦」がおこります。

英仏海峡での、スペインの無敵艦隊とイギリス海軍との戦いです。

アルマダの海戦のドラマチックな話は他に譲るとして、この戦い、イギリスが勝利します。

この件に関して、参考文献の著者・越智さんはこう述べています。

イングランドの国民は、アルマダ海戦に勝利するために、無理やり魚を食わされたのである。

越智敏之『魚で始まる世界史 ニシンとタラとヨーロッパ』
縄文ポシェット

魚を食べる→漁業がさかんになる→海軍が強くなるってことだね!

そして、アルマダの海戦での勝利後にイギリスはニューファンドランドでの漁業をのばしていくこととなりました。

イギリスのおもな漁場と他国との関係


イギリスの漁場には、アイスランドとニューファンドランドがあります。

アイスランドはイギリス北方にある島です。


1397年にアイスランドはデンマークの統治下になり、ハンザの影響力が強かったため、イギリスの成果はいまいちでした。

1490年にヘンリ7世(ヘンリ8世の父)とデンマーク王との間でアイスランド漁業の契約がなされましたが、次第にイギリス漁民が納めるべきお金をおさめないようになり、エリザベス1世の時代にもめ事に発展します。

一方、ニューファンドランドはカナダの東端にあり、フランス、ポルトガル、スペインなどの漁船もやってきている新しい土地でした。

ここではタラがよくとれましたが、16世紀の前半はフランスとポルトガルが優勢でした。

なぜフランスとポルトガルの2カ国か、というと、

①塩が国内に豊富にあり、②フィッシュデイに厳格なカトリック国家だったため、国内に大きな市場があったから

ということが理由にあげられます。

では、イギリスは?というと、イギリスはカトリックではないため、フィッシュデイは厳格ではなく、むしろ肉の消費量の方が増えていました。

おまけに、塩がなかったのです。

縄文ポシェット

魚の需要もそこそこで、塩もないなんて、それはちょっと不利だね~

塩に悩むイギリス

塩に恵まれなかったイギリス

イギリスには塩が不足していました。

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かつてヨーロッパは「北側は魚は獲れるが塩がない、南側は塩はあるが魚がない」といわれていたよ。

ヨーロッパで塩をたくさん持っていたのは塩田を持つ、フランス・ポルトガル・イタリアでした。

イギリスも塩を作るには作っていましたが、生産量はそれほど多くはなく、ポルトガルから塩を買って魚を漬けていました。

しかーし、そんなポルトガルが1580年に敵国スペインに併合されてしまいます。

つまり、敵国になってしまったのです。

縄文ポシェット

オーマイガー!敵国から塩はもらえないよね・・。

仕方ないのでイギリスは、フランス船から奪うことにします。

当時は、海上は自由な領域であると考えられており、私掠船という名の海賊がいたりと、略奪は普通に行われることでした。 

またはむかしの繋がりを使い、ポルトガル船を敵国から守る名目で、みかじめ料として塩をもらうこともしましたが、結局足りず、フランスから買うことになりました。

イギリスにおとずれたラッキーチャンス

そんなイギリスにラッキーチャンスが舞い込んできました。

現在のカナダの東にある、ニューファンドランドで漁をおこなっていたイギリスでしたが、

その東端にあるアヴァロン半島はとてもナイスな気候で、タラの干物が作りやすい環境に恵まれていました。


塩が少なくても干物ができたのです。


なんと、塩不足を逆手に取った甘塩のタラの干物ができあがり、人気商品となりました。

このアヴァロン半島はイギリスはじめての植民地として1583年に宣言され(のちに非公式となりましたが)イギリスにとっては海外進出へのはずみとなったでしょう。

やがて1604年にイギリスはスペインと講和し、交易ができるようになり、ニューファンドランドからはスペインもポルトガルも撤退します。

さらに、カトリック教国であるスペインとポルトガルには、国内に魚を求める人々がたくさんいたので、イギリスとフランスはヨーロッパ市場で魚が売れてうれしい状況となりました。

また大航海時代に出遅れたイギリスでしたが、その後は巻き返していくことになります。
その際の航海の食糧として、塩漬けの魚や塩漬けの肉(コーンビーフ)が重要になっていきました。

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このあとの世界を牛耳る存在になるイギリスだけど、その礎にはこのような魚をめぐる紆余曲折があったからなのかもれないね。

おわりに

この記事のまとめ

  • 16世紀のイギリスでは、フィッシュデイの衰退によって肉の消費量が増加した
  • フィッシュデイの衰退を招いた一因に、ヘンリ8世の宗教改革がある
  • しかし海軍が弱くなったため、国民に魚を食べるよう要請し、アルマダの海戦でも勝利
  • 塩不足に苦労したが、アヴァロン半島での甘塩のタラがヒットする
  • 航海技術や肉・魚の保存技術もあがり、大航海時代につながっていく
縄文ポシェット

いや~、いろんな要素が関わるダイナミックな話だったなぁ。
魚を食べると、海軍が強くなったり。

フィッシュデイがしっかり守られていたカトリック教国では、大きな魚の市場があったり、塩があったり。
反対にプロテスタント国のイギリスには魚はあっても魚の市場や塩がなかったり・・。全てを手に入れるのは難しいんだね。

そうだね。いろいろ苦労するなかで、何がチャンスになるかわからないっていう不確実性・・。

歴史のおもしろさでもあるけどね

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参考文献

-食べ物の歴史